おバカなブログをご覧の皆様こんにちは、ててなし子の日下部です。
じつは、今日のブログは、オイラが一昨年ぐらい前に書いたブログなのですが、自分に迷いやブレが出だすといつも読み返してしまいます。
そして、最近の自分自身に反省しなければいけないこともあり、自分自身の戒めのつもりでもう一度公開することにしました。
以下の文章です↓↓↓オイラにとって非常に恥ずかしい内容です。
2010年某月某日
今日のブログは、照れくさいので、公開しようかどうするか悩みましたが、自分の決意がまた揺らいだりしないために公開してみます。
実は、オイラの父ちゃんとオイラの事です。
冴えないオイラの半生を暴露してみます。
小学生の作文みたいで照れくさいので、興味のある人だけ読んでみて下さい。
「オイラと父ちゃん」
JOKE店主 日下部重樹
オイラの父ちゃんは、お酒が大好きでした。
オイラの父ちゃんは、サラリーマンでした。
オイラの父ちゃんは、畑で野菜作るのが好きでした。
オイラの父ちゃんは、オイラが独立するとき融資と店舗賃貸の保証人になってくれました。
そして、オイラの父ちゃんは、オイラが独立する時に「おまえみたいな若造には貸せないよ」っていう家主さんに、「息子の夢の為にそこを何とかお願いします。」って、頭を深々と下げてくれました。
飲食店の開業に対して融資が難しかった時代に、信用金庫の方にも頭を下げてくれました。
親不孝ばかりしてきた、大馬鹿野郎のオイラ
せっかく入った一部上場企業、父ちゃん物凄く喜んでくれていたのに、父ちゃんに内緒で会社をやめちゃいました。
オイラは、会社をやめた事を父ちゃんに言えなくてバツが悪くて、黙って家を飛び出し、オンボロアパート借りてこっそり生活していた時期がありました。
おバカが過ぎて、京都市内の方でその日暮らしのネオヒッピー(聞こえはいいですが、ホームレス)も経験しております。
食って行く事に困って、実家に米と野菜を盗みに入った事もありました。
そのときにオンボロアパートで食べた、父ちゃんの作った玉葱やらピーマンが、ムチャクチャうまくて、同時にメチャクチャ惨めでちっぽけな自分を泣きながら実感したこともありました。
オイラが、会社を辞めたのは、バブルが崩壊して、会社がリストラを初めて、嫌なもん沢山沢山見て、この世の理不尽を沢山沢山感じて、手のひら返された人たちの惨めな姿も沢山沢山見ました。
そして、リストラにあきたらず自主退社まで募るために会社が行った嫌がらせ人事なんかもあったし、そんなもんこれ以上見たくなくって辛くって、そこから逃げ出してしまいました。
ところが、オイラの父ちゃんは、高校卒業して転職もせずに1つの会社で働き続けました。
ほんとにすばらしい事だと思います。優秀な人だったのだと思います。
きっときっとオイラの何倍も何倍も嫌な事に耐えてきたのでしょう
なのに、中学高校の時のオイラときたら、病気ばかりしておふくろに苦労ばかりかけている父ちゃんが大嫌いでした。
高校受験の時だってオイラは、父ちゃんがいつ死んじゃうか心配で、家計に負担掛けたくないから国の奨学金制度を受けられるよう頑張りました。
馬鹿だから夜も寝ないで勉強して、いい学校に入って卒業したら家計を助ける事を目標に必死に頑張りました。
だけど、父ちゃんはオイラの受験の当日に、命にかかわる大手術しやがって、おかげで試験に集中出来なくって、試験問題が読めなくて、あせって鉛筆持つ手が震えてとまらなくて、結局その学校の試験は落ちて入れてもらえませんでした。
だから、オイラの足まで引っ張ってくる父ちゃんが許せませんでした。
ガキだったから、頑張っても!頑張っても!頑張っても!思い通りにならない事があるって理解できなくって、大人になってもしばらく、それを全部全部、父ちゃんのせいにして生きていました。
なのに、父ちゃんときたら、家出していたオイラが、自分で店を持ちたいと言いだしたら、何も言わずに全面協力してくれました。
下げたくもないだろう頭を出来の悪いオイラの為に米つきバッタみたいに、あっちこっちで下げてくれました。
それなのに、オイラときたら、独立して店も軌道に乗って、お店が繁盛しているっていうのに、照れくさくって父ちゃんに「ありがとう」って言葉が言えません、一緒に酒を飲む事も出来ません、ほんとに大馬鹿野郎だと思います。
もし、神さんがいて望みをかなえてくれるんなら、父ちゃんとオンボロの赤提灯で、歩けなくなるくらいまで酒が飲みたい、デロデロに酔っぱらった勢いでもいい、オイラの正直な感謝の言葉を父ちゃんに伝えたい
おふくろに聞いた話ですが、オイラは、一度だけ父の日に焼酎を父ちゃんにプレゼントした事があります。
そいつを父ちゃんは、しばらく封も開けずにじっと眺めて「重樹にもろた」って一言、ニコニコ笑って、ずっと一升瓶を眺めていたそうです。
今思うと、その焼酎、オイラと一緒に飲むのを待っていてくれていたのかなって思う事があります。
そんな、父ちゃんもオイラが26歳の時に倒れて、あっという間にあの世に行ってしまいました。
ほんとにあっという間の出来事で、わけがわからず、なかなか気持ちに整理が付かず、父ちゃんが死んでわかった事で、おふくろにも言えないもめごとがあって、オイラは、途方に暮れてしまいました。
父ちゃんが、死んでから何年かはほんとに大変でした。
おふくろが、リストラになってオイラの負担が増えてしまうし、結婚して嫁いでいる2人の妹のちっちゃな甥っ子達には、爺ちゃんの代わりもしなければならないし、いろんなもめごとやバタバタに巻き込まれて、調子のよかった店もあっという間に売上を落としちゃいました。
愚痴を言いだしたらキリがないけれど、なんでオイラばっかりこんな思いをしなければならないんだって、悲観的になってしまった時期がありました。
そんな、ある日、お店の営業中にお客さんにすすめられるままに、オイラは、お酒を飲みすぎたことがありました。
その日、ほんとに、ほんとに、どうやってどうしたのか?わかりませんが、気が付けば真夜中だっていうのに、オイラは、父ちゃんのお墓の前にいました。
そして、酔っ払ったオイラの手には焼酎のボトルとお店のグラスが2つ、そこからは、しっかり覚えています。
それは、冬でした。
わけがわからなかったけど、素に戻ったオイラ、父ちゃんのお墓の前に座って、手を合わせてから、散々愚痴や文句を言いながら、持ってきた2つのグラスに酒を注いで、泣きながら酒を飲みました。
つらいつらいって、わんわん泣きながら、叫びながら、酒を飲みました。
やり場のない思いをゲンコツにこめて、父ちゃんの墓石を思いっきりぶん殴りもしました。
父ちゃんの墓の前で、「ばかやろう!お前のせいで、なんでこんな思いしなければならないんだ!」ってわんわん泣きました。
きっと、その時のオイラは、知らない人が見たら気がふれたやつにしか見えない状態だったと思います。
誰にも言えない言えるわけもない事を父ちゃんのお墓の前で、初めて言葉に出して言って、ほんの少しスッキリしました。
そして、その日、父ちゃんの墓の前で、父ちゃんに喧嘩腰で誓った約束がいくつかあります。
今は、その誓いは誰にも話せません。それどころか、たぶん死ぬまで誰にも言わないでしょう
ただ、その誓いを立てた2年後に、今のお店に拡張移転をしています。
実を言うと、その事で、父ちゃんとの約束は1つをクリアしました。
父ちゃんには、薄情な話しですが、最近までその誓いを忘れていました。
というよりは、あまりに重い内容なので腹の奥底に深くしまいこんで、誰にも話してなかったし、かたくなに蓋をしていたように思います。
それに、途中で断念した約束もあったりして、生活がバタバタと変わっていく中、長い間中断していました。
しかし、オイラが「DAINING BAR JOKE」って看板に執着している根源は、その約束にある事が最近になってやっと思い出せました。
考えてみれば、カラオケBOXなのに、看板は昔の12席しかないキッチンBAR時代のままの看板「DAINING BAR JOKE」ですから、おかしいと思った方もいると思います。
ところで、2009年の暮れぐらいに、尊敬する方にビジネスモデルが悪いから、負債の整理しなさいと言われたことがありました。
じつは、売上の低迷に悩んでいたのと、その方を尊敬するあまり、1度は店をたたむ事を決意して動きかけた事があります。
しかし、どうしても店をたたもうとすると、自分自身にストッパーが掛ってしまうのです。
どうしてだかわからなくて、ずうっと考えていました。
最初は、借金が残ってしまうとか、従業員の為とかが原因だと思っていましたが、どうやら違っていて、墓の前で酔っ払って誓った、父ちゃんとの約束の為でした。
つい最近になるまでその事がわからずにいました。
JOKEという店は、オイラだけの店ではありません、オイラと父ちゃんとおふくろの店なんです。
だから、オイラは看板を守ることに執着してしまうし、創業店よりも今のお店に執着しています。
当然、目的のためとはいえ、父ちゃんがあっちこっちに頭を下げて、出来の悪いオイラの為に持たせてくれた、創業店を手放したのも、誰にも理解してもらえないくらい、複雑でせつない気持ちでした。
だけれども、「DINING BAR JOKE」と言う看板を守るために、人には言いたくない無様で格好の悪い事だってしてきた事も事実です。
ところで、不思議な事ですが、父ちゃんとの約束を思い出した時から、ほんの少しづつではありますが、お店の売上が上がってきています。
父ちゃんとの約束を思い出す事が出来て、オイラの意識が変わったわけですが、少しずついい方向に向かっています。
まだまだ、止まっていたものが、動き出した程度に過ぎません、加速させるにはまだまだやらなきゃいけない事だらけです。
ただ、今は、忘れていた大事な事を思い出してよかったと思っています。
最近、忙しくて父ちゃんのお墓参りをさぼり気味です。
近々、またお酒を持って父ちゃんに会いに行きます。
今度は、酔っ払ってバカなことはしません、しらふで行ってグラスを2個と焼酎を持って会いに行きます。
そして、たくさんたくさん父ちゃんと話をしてきます。
父ちゃんが、生きてるうちに会わす事が出来なかった、オイラの娘の事や嫁さんの事、おふくろの事や甥っ子姪っ子の事、そして店の事
なによりも、今度は、愚痴や文句じゃなく、ちゃんと「ありがとう」って言ってきます。
ほんとにちゃんと、「父ちゃん、ありがとう」って言ってきます。
JOKE 店主 日下部重樹
追伸:
最近、鏡を見る度に、気味が悪いくらい父ちゃんに似た奴が、姿を現します。
ほんの少し、嬉しく思っています。
父ちゃんの名前は、正義(まさよし)、お酒が好きで、病気ばかりしていたけれど、名前の通り、正しくて曲った事が大嫌いな、義理人情に厚い人でした。
父ちゃんの葬式には千人を余裕で超える人が集まり、葬儀会場は礼服でまっくろけ、用意した椅子も全然足りなくて、会場の階段にまで人だかりが出来ていました。
その光景は、オイラに父ちゃんの人柄を痛感させてくれました。
父ちゃんが、あの世に行った後、ちょくちょく店に足を運んでくれた父ちゃんの部下だった人達、オイラの知らない父ちゃんを教えてくれました。
父ちゃんの会社での武勇伝やら、お酒の席での父ちゃん、さんざん親不孝したオイラの事を自慢の息子って話してた事や、オイラの事を気にかけて影で営業してくれてた事、後から後からわかってくる、不器用だった父ちゃんのオイラに対する愛情、ほんの少し最低な自分が救われるような気になりました。
オイラは、そんな父ちゃんが今は大好きです。
オイラは、そんな父ちゃんの1人息子です。
だから、もっともっと頑張って、目標を達成していきたく思っております。
↗オイラの父ちゃんです。